机に置かれた、ある書類を、N氏は吟味もせずさらりと目を通しただけでいちへと回し、ふらりといなくなる。
当然のごときその所作に、いちは呆れながらも無言で受け取る。これが自分のところへやってくることなど予想の範疇だ。他の誰もが自分で処理するそれは、N氏のものだけは何故か隣に座るいちへと横滑り、否、丸投げされるというのが入社以来の当たり前になっていた。

いちが無言でむっつり押し付けられたそれを片付けていると、N氏とは逆隣のSさんが何気なくといったふうに彼女に声をかけた。
「何そんなに苛々してんだ?」
押し付けられた、などと言えるわけもなく、遠くで無駄話をするN氏の声をBGM代わりに時計を見やりながら答える。時刻は午後6時半。
「苛々なんてしてませんよ。ただコナン君が」
秋のミステリーなんとかでここ何回かの放送は午後7時から始まっている。順調に仕事を終えても、まず放送開始には間に合わない。
「ビデオとってねーの?」
パソコンをいじりながら、Sさんはちらりといちを見やった。
「あー、まぁ」
はっきりしない返事は、どう答えていいものかと迷ってのことだった。
彼女としては、そこまでの執着心を持ってコナン君を見たいわけではない。かつて学生だった頃には録画もしていたが、今となってはそこまでして見逃したくないものではなく、更に言えば丁度いいテープやディスクが手元にない。
そんなようなことを考えて数秒。口を開こうとした瞬間に、何時の間にやらそこにいたN氏。
「ないんだな!?」
何が、と問うまでもなく、デッキがないんだろうというニュアンスが込められた一言。
確かに、社員の誰よりも田舎と称される場所に、いちの自宅はある。しかし、ビデオがないとか、録画ができないとか、そこまで文明から離れた僻地で暮らしてるわけでもない。
ここで慌ててそこまで見たいわけじゃないとか、ムキになって言い出したら逆効果だなぁと思って軽く否定するに止める。
「やー、ありますけども」
その返事に。何をどう捉えたものか、N氏はやや落ちつかなげに言う。
「泣くなよ?」
「あー、泣きません、泣きません」
いちにとって、その程度の馬鹿にされ方は日常と化している。
そのまま自分の席に座り、いちに押し付けた、すでに終わりかけの仕事をほんの少しだけ手伝いながら、彼はちょっと機嫌よく。
「俺も結界師は全部録画してたな」
顔には出さずとも、思わぬカミングアウトに内心パニックになりながら、続いているN氏の言葉をいちの耳は拾う。
「犬夜叉も何で終わったのかが分からない・・・・・・」
返答の仕様もなく、そもそもN氏は返事を必要としているのかどうかも分からない口調でサンデートークを尚も続けた。いちは半ばぼやけた相槌を打ちながら手を動かす。
「でも結界師は今度また夜中にやるからな」
これも全て録画をするのだという意思を強くにじませた声に、いちは曖昧に笑うしか返事の仕様が無かった。


N氏は知らないことだが、昼間、いちはSさんにもそっとカミングアウトをされていた。

『ガンダム、始まったろ?子供がいるから堂々とウチで見ていられる』

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